sara

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2006年の記事にも少しだけ写真を載せていましたが、今回(すみません、5月の映像です。)関門連絡船通路跡をもう少し詳しくお伝えしたいなと思いました。(忙しい毎日で、おまけに次から次へとアップしたいものも重なって、気が付けば秋になっていました・・・。)
門司港駅の改札を抜けて左に曲がると・・・レトロな消防車が見えます。
その奥に見えるのが、関門連絡船通路跡です。
門司連絡船通路跡01 門司連絡船通路跡02

右の赤い○のところ・・・何があるのかな・・・気になって近づいてみると
門司連絡船通路跡03
観光用スイッチがありました。←何度も行っているのに、気が付いたのはなんと今年の5月・・・潮風号に初めて乗車した日でした・・・。(不思議と・・なかなか気が付かないものです・・。どうして気が付かなかったんだろう・・・??)
門司連絡船通路跡04 門司連絡船通路跡05
黄色い○は前にもお伝えしましたが、旧監視孔。覗いてみたくなりますね・・・。
門司連絡船通路跡06門司連絡船通路跡07

関門連絡船の生涯・・・そう書かれたパネルがありました。読んでみます・・・。
門司連絡船通路跡08
本州と九州を結ぶ輸送機関として、明治34年に発足した関門連絡船は、およそ半世紀にわたってその使命を果たした。
最盛期の昭和16年には、下関丸、長水丸、豊山丸などの新鋭船を擁し、1日平均53往復して、年間約880万人(1日平均約2万4千人)を輸送する活況を呈した。
しかし、昭和17年関門海底トンネルが開通、同19年にはトンネルが複線化され、さらに33年の関門国道トンネル開通により、昭和38年には利用客わずか40万人に減少した。
これらの時代の流れと世の中の変遷により、関門連絡船はそれまでの本州と九州を結ぶ輸送の幹線動脈としての使命を失い、ついに昭和39年10月31日午後10時40分門司浅橋発の最終便を最後にその63年にわたる栄光の歴史を閉じた。
この通路は、当時、駅から浅橋までの約100mを結んだものである。

門司連絡船通路跡010 門司連絡船通路跡09

通路跡から改札口方面を見上げてみました・・・。
その昔・・・ここにはたくさんの人たちが行き来していたのですね・・・。
門司連絡船通路跡011 門司連絡船通路跡012

門司港駅の改札口を抜けたら・・・そのまま左に曲がって、関門連絡船通路跡をご覧になってみられませんか?
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