パンタグラフのこと(電気機関車) 空気碍管 5
2 Comments
sara
空気碍管 1 、空気碍管 2、 空気碍管 3 、空気碍管 4 の続きです。
前回の記事の終わりにも書いていましたが、私の間違ったままの推測も含めて
これまでの考えを少しだけまとめてみます。
(ごちゃごちゃになった頭の中を整理する・・・そのような感じです。)
まず最初に・・・空気碍管 2の中で、私は
EF81のパンタグラフのほとんどがPS22だけど300番代は PS22A そして、450番代は FPS22E・・・
450番代機は、耐雪装備省略で空気碍管が1本だけになっているので、きっと300番代も同じ理由で1本なのだ・・。
たぶん、パンタグラフの空気碍管は、PS22は2本、PS22AとFPS22Eは1本で、パンタグラフごと付け替えられたのだと思っていました。
ところが、その後 ある方から 301、302号機のパンタグラフは最初からPS22Aだった・・・
それが「鉄道ファン1989年8月号」に書いてあるということを教えていただいて、急いでバックナンバーを取り寄せました。
そして、交流・交直流電機出生の記録に「従来のPS22パンタグラフからPS22Aに移行し・・・。」という箇所を目にし、ページの上部に掲載されていた空気碍管が2本ついている300番代の写真を見て、当時はPS22Aも空気碍管は2本だったのだと確認・・・。
ここで冷静に振り返って、空気碍管 4でも触れていました 2007年に富山機関区に移動した453、454、455号機の空気碍管は2本になった・・・ということは、450番代のFPS22Eもそうなのかも・・・。
もう少し考えて・・・そうです、400番代・・。400番のパンタグラフはPS22です。
九州に移動してしばらくの間は、空気碍管が2本でしたがその後1本に・・・。
・・・・ということは、パンタグラフによって空気碍管の本数が違うのではなく、つけたり外したりできるのではないかなと・・・思いました。
次では、空気碍管 3 での3つの疑問に触れてみたいと思います。
今回の記事を書くにあたって、感じたことを二つほど書きたいと思います。
一つは、情報を教えていただけるありがたさ・・・でした。
1枚の写真、そしてどんな小さなことでも、調べ続けてゆけばつながるのだということ。
点と点が線になる・・・それはまるで過去から現在へとつながる光のようにも思えました。
もう一つは、鉄道雑誌は大切に保管しておくべきだということ・・・。
今回、EF81 300番代のパンタグラフのことを調べるにあたって、私はいろんな本を探し、ネットでも検索しましたが、出生当時のことを詳しく書いてあるものはありませんでした。
そして、半ば諦めかけていたところに(これまた教えていただいたのですが)いちばん欲しい情報が記載されてあったのが約20年前の鉄道雑誌・・・。
ずっと保管されているだけでなく、どの年代の何月号にどのような記事が掲載されているということを把握してあったのが本当にすごいと思いました。
前回の記事の終わりにも書いていましたが、私の間違ったままの推測も含めて
これまでの考えを少しだけまとめてみます。
(ごちゃごちゃになった頭の中を整理する・・・そのような感じです。)
まず最初に・・・空気碍管 2の中で、私は
EF81のパンタグラフのほとんどがPS22だけど300番代は PS22A そして、450番代は FPS22E・・・
450番代機は、耐雪装備省略で空気碍管が1本だけになっているので、きっと300番代も同じ理由で1本なのだ・・。
たぶん、パンタグラフの空気碍管は、PS22は2本、PS22AとFPS22Eは1本で、パンタグラフごと付け替えられたのだと思っていました。
ところが、その後 ある方から 301、302号機のパンタグラフは最初からPS22Aだった・・・
それが「鉄道ファン1989年8月号」に書いてあるということを教えていただいて、急いでバックナンバーを取り寄せました。
そして、交流・交直流電機出生の記録に「従来のPS22パンタグラフからPS22Aに移行し・・・。」という箇所を目にし、ページの上部に掲載されていた空気碍管が2本ついている300番代の写真を見て、当時はPS22Aも空気碍管は2本だったのだと確認・・・。

ここで冷静に振り返って、空気碍管 4でも触れていました 2007年に富山機関区に移動した453、454、455号機の空気碍管は2本になった・・・ということは、450番代のFPS22Eもそうなのかも・・・。
もう少し考えて・・・そうです、400番代・・。400番のパンタグラフはPS22です。
九州に移動してしばらくの間は、空気碍管が2本でしたがその後1本に・・・。
・・・・ということは、パンタグラフによって空気碍管の本数が違うのではなく、つけたり外したりできるのではないかなと・・・思いました。
次では、空気碍管 3 での3つの疑問に触れてみたいと思います。

今回の記事を書くにあたって、感じたことを二つほど書きたいと思います。
一つは、情報を教えていただけるありがたさ・・・でした。
1枚の写真、そしてどんな小さなことでも、調べ続けてゆけばつながるのだということ。
点と点が線になる・・・それはまるで過去から現在へとつながる光のようにも思えました。
もう一つは、鉄道雑誌は大切に保管しておくべきだということ・・・。
今回、EF81 300番代のパンタグラフのことを調べるにあたって、私はいろんな本を探し、ネットでも検索しましたが、出生当時のことを詳しく書いてあるものはありませんでした。
そして、半ば諦めかけていたところに(これまた教えていただいたのですが)いちばん欲しい情報が記載されてあったのが約20年前の鉄道雑誌・・・。
ずっと保管されているだけでなく、どの年代の何月号にどのような記事が掲載されているということを把握してあったのが本当にすごいと思いました。
余談
今回、私は交通文化社さんから古書を取り寄せるという形で入手しましたが、とてもきれいな状態、梱包も丁寧、そして振込み後の入金確認と商品に関するメールも届き、ネット通販とは思えないほど細やかで丁寧な対応でした。
これからもまた利用したいと思っています。
今回、私は交通文化社さんから古書を取り寄せるという形で入手しましたが、とてもきれいな状態、梱包も丁寧、そして振込み後の入金確認と商品に関するメールも届き、ネット通販とは思えないほど細やかで丁寧な対応でした。
これからもまた利用したいと思っています。
- 関連記事
-
- パンタグラフのこと(電気機関車) 空気碍管 6(03/25)
- パンタグラフのこと(電気機関車) 空気碍管 5(03/18)
- パンタグラフのこと(電気機関車) 空気碍管 4(03/18)